2001年

CAR GRAPHIC 12月号に掲載されたレポート

CG2010

ソーラーカーで
シベリア横断に挑戦

1万1000kmのロシア冒険旅行

Report 山本久博

Photo 吉田日出夫

 夕暮れのモスクワ国際空港を飛び立ったアエロフロートA310深夜便、私は狭いシートに疲れきった体を沈めて浅い眠りを楽しんでいた。

 ひと月以上の苦難の旅に付き合ってくれた3人の仲間が傍で軽い寝息を立てている。谷 惇(65才)、土田英夫(66才)、吉田日出夫(61才)、そして山本久博(50才)。平均年齢60.5才の自称わんぱく少年たちだ。

 ウラジオストクから始まった冒険の旅は、中央シベリア、ウラル山脈、モスクワを経てレニングラードことサンクトペテルブルグの街まで、移動距離にしておよそ1万1千kmというとてつもないものだった。もちろんジェット機の深夜便はわずか一眠りの間に暴力的なまでのスピードで飛び越えてしまう距離なのだが、われわれの旅はひたすら地平線を見つめながら、デコボコ道を注意深く、しかも競技用ソーラーカーという華奢な道具を使っての行程だった。


 30年程前、五木寛之氏の小説「青年は荒野をめざす・・・」が私のバイブルだった。そして主人公がトランペットを抱えて旅したその地を我々はジョナサンと共に駆け抜けたのだ。

 世界ソーラーカー連盟の会長ハンス氏からロシアを走ろうとの誘いがあった時、私は忘れ掛けていたこの小説の事を思い出し、そして困難を承知で実行する事に決めた。
いつまでも沈まない白夜の太陽も、白樺の森もすべて小説のイメージのままであった。唯一違う事といえば主人公達がちょっぴり年を喰っている事だったが、そんな事にはお構いなしで我々は遅れて来た青春を謳歌したのだ・・・。

 最初の苦難はスタートして数分もたたないうちにやってきた。ウラジオストクのレーニン広場でたくさんの報道陣と観客に見送られて意気揚々と出発したJonasunは最初の急勾配の登りでトルク不足の為に立ち往生したのだ。事前の調査で難しい勾配だというのは分かっていたのだが、パトカーの先導で一気に登ればなんとかなるだろうとたかをくくっていたのだ。ところがあろう事かパトカーが交差点で安全確認の為に一時停止・・・。案の定、急勾配でいったん止まったJonasunは坂道発進が叶わなかった。


 この時の不甲斐ない模様が日本全国にニュースで流れてしまったというのだからなんとも情けない出発シーンであった。

「右に穴、その先左に大きな穴・・・気をつけて!」、「はい、後ろからトラックが追い越しまーす」、こんな無線がひっきりなしにJonasunをドライブしている私のインカムに飛び込んでくる。今回のキャラバンはロシアでチャーターしたパジェロがJonasunの200m先方を走り道路状況を知らせる。トランスポーターのいすゞトラックはハザードを点灯しながらJonasunを追尾し、後方から来る一般車両からガードする。無線は常に入りっぱなしだ。

 アスファルトそのものが日本の道路と比べて程度が良くない。何が良くないかといえば、まず、平らになっていないのだ。あとで気が付いたのだが、ここシベリアはいたるところが永久凍土の上にある。井戸を覗けば下半分が凍り付いている状態なのだ。夏でもこんな有様なのだから、アスファルトの表面が鏡のような日本の道路に比べたらとても快適とはいえない代物なのだ。トラックで70km/hを超えると荷崩れしそうになると言えば想像できるだろうか。


 もうひとつ良くないのが、走行マナー。日本も昔はこんなだったのかもしれないが、運転のマナーがすこぶる良くないのだ。一番危ないのが追い越したあとでいきなり割り込んでくるドライバーが多いことだ。
 Jonasunのブレーキは競技用としては充分な性能があるのだが、それでも直前に割り込まれて急ブレーキを踏まれたらたまらない・・・。追い越し車両が来る度にビクビク右端に寄って走らなければならないのだ。ただし、ロシアのドライバーの名誉の為に弁明すると、ほとんどのプロドライバーは日本と変わらないレベルのマナーを持ち合わせていた。危ないのは一般の乗用車を飛ばす市民ドライバーなのだ。きっとまだ車を手にして間もないのだろう・・・。

 道路に関してのもうひとつの特徴はアップダウンの多いことである。これが最後まで我々を悩ませた。もともとオーストラリアの砂漠を縦断するレースWorld Solar Challengeに挑戦する為に作られたJonasunには変速機構などない。
 今回の対策は、とにかく荷物を減らしギア比を軽くする事である。その為にバッテリーはギリギリ50kgまで減らした。これはレース時の2/3の容量である。そしてギアは最高速を70km/hから60km/hまで下げて登坂能力を高めた。初日の失態を繰り返さないようにとにかく上り坂では勢いをつけて一気に・・・。と、それ以降はなんとか無事に走り続けた。もっとも最大の難関と考えていたウラル山脈超えは土砂降りの雨の為トラックに積んだままの移動だったが・・・。



 雨といえば、今回は記録的な異常気象で雨にたたられてしまった。ハイテクのシンボルのようなソーラーカーだが、その名の通り太陽がなければお手上げだ・・・。結局太陽エネルギーで走る事が出来たのは30%程度となってしまったのが悔やまれるのだが、記録を作るのは次の挑戦者に期待しよう・・・

 出発の準備を進めていたある日、いつもお世話になっているブリヂストンのT氏から電話が入った。「ほんとに行くんですねー!、ところでタイアは何本持っていきますか?」「3本あればOKです!、絶対にパンクしないのをお願いします・・・笑」、
 今回はレースとは違い、性能よりも耐久性が欲しかったのだ。レースの時はほとんどのチームが最高水準の転がり性能を求め、そして限界まで空気圧を高めて使う。したがってほんの小さな石を踏んだだけでバーストすることも承知で挑戦するのだ。今回ブリヂストンが我々に提供してくれたのはケブラー繊維入りの特別製で、外観は市販のソーラーカーレース専用のECOPIAと変わらないが、特別丈夫に作られていた。その耐久性能とトレードオフで転がり性能は当然低くなっていた。この特別製のECOPIAを前輪に履き、後輪には最も丈夫なプレスカブ(新聞配達用スーパーカブ)用の市販タイアを選んだ。
 耐久性能を高めたお陰で巡航速度は当然低くなった。日中の太陽電池の発電だけでの巡航速度は、レース時の70km/hから60km/hに下がっていたが、前述の穴だらけの路面状況を考えれば十分な速度である。途中で一度だけリアのタイアがバーストしただけで、あとはまったくノートラブルで走り抜いたのだから・・・。途中でタイア交換の作業がないだけでJonasunのメンテナンスは半減し、それでなくとも疲れきっているメンバーは大助かりなのであった。

 ロシアを走っているとやたらと検問に遭遇する。ちょっとした町には必ずと言って良いほど検問所があり、機関銃と防弾チョッキで武装した警官が不審な車両を止めて調べ上げる。彼らにとってJonasunは不審な車両以外の何者でもない。したがってありとあらゆる検問で検閲を受けるのだ。ところが我々が苦心して手に入れた政府発行のレターが効力を発揮した。「この者たちは政府が全面的に協力している連中だから現場の各担当者は必要な援助をするべし」・・らしき事が書かれているようだ。
 このレターを見せた途端に、それまでニコリともしなかった警官がすぐに友好的になり、パトカーを用意してエスコートしてくれるのだ。このエスコートがまた尋常ではない。交差点ではサイレンを鳴らして赤信号を無視し、渋滞していれば対向車線を走る。全ての車両が停止して我々に道を譲るのだ。まるで国賓級の待遇を受けたような気になってくる・・・。それにしても水戸黄門の印籠のごとく、かのレターは行く先々で我々を助けていった。

 道端で野営するなんて無謀です・・・。ロシアはマフィアの国だという事を忘れないでください。・・・と言う現地の人たちの忠告を無視して一度だけキャンプを楽しんだ日があった。とても天気が良かったのと道路建設の作業現場の近くで管理人がいる安全な場所だった。いつまでも沈まない太陽は森の静けさと共にシベリアの自然を満喫させるに充分だった・・・。ところが・・・。一変したのは暗くなってからだ。それまで短パンにTシャツで大いにリラックスしていた我々を、想像以上の夜明けの放射冷却が襲ったのである。
 ズボンを履いてシャツを着たままシュラフに入っていた私はあまりの寒さに目が覚めた。しかもそこはトラックの荷台の中、いわば室内のようなアルミバンの荷台の中でさえこの寒さなのである。気がつくと管理人が近くで焚き火を焚き始めていた。もちろんこんな時にはこれほどあり難いものはない。みんなで夜明けの太陽を待ちながら焚き火を囲む事になったのは言うまでもない。この日の朝は出発前に何袋かの日本食と僅かのウォッカを管理人に進呈した。それにしてもシベリアの朝は強烈な寒さが襲う事を身にしみて体験した我々は、これ以降誰もキャンプしよう、とは言わなくなった。だって一晩300円も出せば暖かなベッドのあるホテルに泊まれるのだから・・・。


 今回の旅の全般を通じて言えるのは、ロシアの一般の人たちはとても友好的だったこと。それまで聞いていた暗いイメージはほとんどなかった。ホテルのカフェで意気投合したトラックの運転手はラテン系かと思えるほど饒舌な男だった。もっとも上質なウォッカのなせる業かもしれないが・・・。そんな中で一度だけドキリとさせられた事があった。それは道路がないため貨車輸送を強いられハバロフスクのプラットホームに出かけた時である。トラックをプラットホームに載せて固定する作業を見ていた時、隣の貨車にはなんと大砲(正式な名前はわからない)をズラリと並べて同じように固定していたのである。平和を謳い、環境を意識しているJonasunの隣に兵器が並んでいる様は平和ボケしている我々の脳味噌に大きなショックを与えてくれた。この後も幾つかの町では軍事工場があるという理由で外国人が宿泊してはならないと言われた。まだまだ臨戦態勢が生活の中に同居しているのがロシアなのだ・・・。

 そんな国の事情なんかくそ食らえ・・。と元気なのが何処の町でも目を輝かせて集まってくる子供達だ。感心したのはどんな田舎の子供達でも太陽電池のことは学校で習っているらしくすぐに理解するのだ。もちろんソーラーカーを見るのは初めてだと言うが、太陽のエネルギーを使って走る車だというのはすぐに納得する。きっと宇宙科学のことは学校で充分勉強しているのだろう・・・。だって既にミールを運用していた国なのだもの当たり前か・・・。

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 苦労があれば想い出も多くなる・・・。とはよく言うが、旅も半ばを過ぎた頃、私の脳裏にはゴールの感動のシーンが居座っていた。みんなで抱き合って感動を分かち合うシーンだ。考えただけで涙腺が緩んできた。しかしそんな我々の事情にはお構いなしに、最後も自然の猛威は手荒い歓迎をしてくれた。

 ゴールに選んだサンクトペテルブルグのTV局の前にもうすぐ到着という所でひどい雷雨に見舞われてしまったのだ。ワイパーのないJonasunは先行車のテールランプを頼りになんとかたどり着いたものの、豪雨の為に私をコックピットの中に閉じ込めたままシートでカバーされてしまった。かくして我々の感動のゴールシーンは吹き飛んでしまったのだ・・・笑

 今回の計画を実現する為に奔走した中で大きなポイントになったものがある。ひとつはJonasunがオーストラリアのレースに参加した実績があり、オーストラリア政府が発行した公道を走る為のナンバープレートと許可証があった事。これがあったお陰でロシア政府は何の問題もなく走行許可証を発行してくれたのだ。

 もうひとつのポイントは前述の政府発行のお墨付きレターの取得である。これを貰う事が出来たのには私の本業でもあるヘアカットが少しだけ関わっている。モスクワの美容室でヘアカットのデモを行い、この時のニュース取材の中でユーラシア横断への協力を訴えたのが功を奏し、政府が全面的に協力を申し出てくれたという偶然が積み重なったものであった。本当に芸は身を助けるとは上手く言い当てている。

 ソーラーカーが企業や大学あるいは専門家だけのものではなく、誰でも楽しめる世界であって欲しいと思うのは欲が深いだろうか?レースで記録に一喜一憂するも良し、マイペースで太陽を道標に知らない道を走るのもまた良し・・・。そんな楽しみ方を知ってもらう為にもRussian Journeyはひとつのケーススタディとなりえるはずだ。

 たった一晩のフライトが我々の体験した多くの苦難の道筋を何事もなかったように飛び越えてしまった。そして随分とスリムになったメンバー達はそれぞれの生活に戻っていった。
これからは収穫の季節で農作業に追われるであろう大潟村の3人は、「楽しかった・・・!叉行こうね!」・・と言って笑った。

 今度は燃料電池車で世界記録を狙おうか(笑)

 

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