2001/10/26

吾輩はかもめ・・・     
     名前はジョナサン・・・

危機一髪・その後のジョナサン

先週の金曜日、ようやく吾輩は帰国した。

横浜港・大黒ふ頭でクジラを受け取った山本はすぐに秋田のジョナサン基地に向かってアクセルを踏んだ。

夕暮れ迫る東北道に入るとロシアでのドライブを思い出しながら、ついつい右足に力が入っていた。

道が悪くしかもタイヤがダメージを受けていた為注意深く進んでいたシベリアの大地・・・

それに比べ、東北道は鏡のような路面といつでも立ち寄れるサービスエリアなど、あまりに快適な道だった。

・・・と、セーブしていたはずのスピードがダメージを受けていたタイヤの限界を超えた・・・!

バリバリバリッ・・・!!!

鈍い音と振動がクジラのコックピットに響き渡り、ステアリングが何者かに引き寄せられるようにグラグラ揺れた。こんな時には急ブレーキも急なステアリング操作も厳禁だ・・・!

注意深くスピードが落ちるのを待ちながら、山本は走行車線をトレースすることに神経を集中していた。

70km/hまで速度が下がった時、振動が止み、そして静寂が戻ってきた。

後続車両に注意しながら次のサービスエリアまでたどり着いた山本はパーキングにクジラを止めてタイヤを見た瞬間に凍りついた・・・

大型車両のバーストがこれほど凄まじいものだとは知らなかった。

接地面が千切れ飛ぶ時に叩きつけたフェンダーは大きくめくれ上がり、サイドバンパーは溶接面がむしり取られて曲がっていた。

F−1マシンのバーストシーンのようにサイドウォールだけが原型を留め、それ以外は飛散したようだ。

剥き出しになったワイヤーの構造体が激しさを物語っていた。

サービスエリアからJAFに連絡したところ、4tトラックはサービスの対象外で、代わりにサービスエリア内のSOS電話で修理の依頼が出来る事を教えてくれた。

山本は始めての緊急電話の受話器を取った。

さすがに非常電話の応対は素早い・・・

「はい、事故ですか?、故障ですか?」早口の問いかけが帰って来た。

「故障です。」

「道路上ですか?それともサービスエリア内ですか?」

「サービスエリアの駐車場です。」

そこまで聞いた担当者はようやく緊張から解放された口調に変わり・・・

車種と故障の内容を尋ねると、親切に修理会社にそのまま電話をつないでくれた。

一時間ほどその場で待っていたら、トラック専門の修理屋さんがやってきて、10分ほどでスペアタイヤとの交換を済ませてしまった。

車載のコンプレッサーを回し、大きなインパクトレンチ(それこそF−1並)で簡単に作業が進む・・・

コロムナのサービス工場でアンドュー君が全体重で締め込んだナットが・・・

さすがはプロ・・・の技だ!

ズタズタのタイヤをとりあえずスペアタイヤのあった位置に格納する。

それにしても飛び散ったタイヤの破片を拾い集める為に、どれだけの危険な作業があったか・・・

道路管理の方達にとても申し訳ない事をしたのでありました・・・
ゴメンナサイ!

そんな危機一髪を切り抜けながらも、吾輩は4ヶ月ぶりに秋田市の我がジョナサン基地に無事帰還したのである・・・メデタシ

そして数日後・・・

吾輩は大潟村のコースに降り立った・・・

谷さん・土田さん・吉田さん・・・と、ロシアで苦労をともにした皆との再会だ。

心配していた事・・

その1: 荷物はほぼ全部入っているようだ。

その2: カビはコンテナ1個だけが湿気にやられてしまっただけで、それ以外は問題なし。

その3: 果たして吾輩は動くのか・・? 大丈夫でした・・・ホッ

荷物の詳細はまだ調べていないが、盗難にあったものはなさそうだ。

太陽電池のダメージもない。

全体に汚れが目立っているが、ユーラシア大陸を横断した後、3ヶ月間の船旅を終えたわりには、何事もなかったかのように普通に見える。

ロシア入国時に税金を払って持ち込んだ食料品も、残ったものは記念にみんながお持ち帰り・・・笑

みんなで荷物の整理と吾輩のメカチェックを終えた。

本格的なレース仕様に復帰してここを走りたいのを我慢して、今回はロシア仕様のままで保管される事になった。

まずは一安心・・・おつかれさまーっ!

帰りの側道ではいつものように鷲(名前は?)がご挨拶に寄ってきた・・・

きっとお帰んなさーい・・・って叫んだんだね!

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