2001/06/20

吾輩はかもめ・・・     
     名前はジョナサン・・・

ハバロフスク第二日目の朝は静かに始まった・・・

一泊\800/一人のホテルなのだ

街の中はこんなのがいっぱい・・

プラットホームに到着

お隣の兵士たちとPopolovさん

載せるのも降ろすのも大変だ

ようやく貨車の上に

朝は比較的ゆっくりはじまった・・・

とは言うものの、いきなり目が覚めたのが上の貨車輸送だ。

隣の貨車にはなんと本物の大砲(正確な名前がわからないので間違っているかも・・・)が並んでいた。

平和とクリーンエネルギーが信条の吾輩とのコントラストは見事・・・であります。

ギリギリのサイズにクジラとサポートカーのパジェロがなんとか納まった。

ここからCITAまでを最低4日、下手をすると7日ほど掛かると言う。

地元メンバーのPopolovさんとアンドリューさんが吾輩たちに付き合って貨車に乗り込むことになった。

荷受の責任者・・・、というか、車のオーナーが同行するべし・・・てな事だろう。

他のメンバーたちは別の客車で移動することになり、これは約2日間で到着の予定だ。

いよいよ固定作業

こんな風景だ

角材を釘で固定した後ワイヤーで締める

ダンボールで窓ガラスをカバー

作業が終わり缶詰で乾杯

玄米ごはんはそのままでもオイシイ・・

いずれにしても、まったく予定外なのがこの国のシステムだ・・・

何があっても絶対に驚かないぞーーって決めていた山本だったが、さすがにびっくりの連続だ。

一番ショックが大きかったのが貨車輸送の金額が$2000という価格だった事だ。

そんな金額なんて聞いてないよーーー!悲鳴

必要以上に現金を持たないようにしていたのと、もともと借金で賄っている台所事情だから予定外の

高額支出は体力以上に精神的に消耗する・・・

仕方ないから日本に国際電話をかけて振り込んでもらい何とか乗り切ったものの、この先また

予想外の請求がないかと心細い胸のうちであります・・・苦笑

それでも一泊400〜800円位/一人で泊まれる安いホテルが結構快適なのが助かる・・・

ダーウィンのバックパッカーに泊まったときに比べれば上出来な環境である。

平均年齢60歳超のメンバーのみんなには申し訳なかったが、先が長いので辛抱辛抱・・・なのだ。

というわけで、多分今晩あたりには貨車は一足先に旅立つ・・・多分だが

今夜もメンバーは同じホテルにお世話になることになった・・・

つづく

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