9月21日、山本と大潟村元助役の谷はクアラルンプールの空港に降り立った。
来年マレーシアでソーラーカーレースを開催したいという観光局と主催者グループからの要請で、現地の調査とコースの下見、更にはレギュレーション設定に関するアドバイスのためである。
思えば9年前、丁度山本と谷がWSRを立ち上げようとしていた頃、同じように無条件で多くのアドバイスを申し出てくれたハンスの志が今でも鮮明に生きていた。
マハティール首相がソーラーカーレースに理解があるとの事で、高速道路を使って開催する予定である。
しかし視察を終えた山本と谷は、オーストラリアのように一般車とソーラーカーの混走は交通量が多いため不可能という判断を下し、高速道路の完全閉鎖が絶対条件であることを伝えた。
さらに、高速道路の閉鎖は、地元経済に対する負担が大きい為、Sepangサーキットを日程の中に組み込んだ複合的なレースも検討に入った。
幸いなことに93年に京セラチームで大潟村とオーストラリアに参加し、その後はゼロtoダーウィンプロジェクトのメンバーとして、数多くのソーラーカーレースに参加しているエンジニアの土屋氏がクアラルンプールに住んでいた。
早速、現地の主要なメンバーとして手伝ってもらえるように主催者側に紹介したのであった。
早稲田大学OBの土屋氏であるが、今は芝浦工大の海外協力プロジェクトのメンバーとして、現地の学生たちに情報処理を教えているという。
現地視察のもうひとつのオーダーは、ランカウイ島でのソーラーバイシクルレース開催の可能性を探ることであった。
一周60〜70km程度のこの島は手付かずの自然と灼熱の太陽が待ちうけるリゾート地であった。
バイシクルレースを行うためには、やはりかなり大幅な交通規制が必要ではあるが、レースを含んだ観光という観点から見れば魅力あふれるものになるだろう。
全ての行程でデータ通信に関する環境はすこぶる快適な条件を持っていた。
E−mailを一日とて話すことの出来ない二人は、各ホテルの電話器が難なくデータ通信に使えること、そして日本のプロバイダーがローミングサービスを開始し、各都市に接続ポイントが用意されているお陰で、秋田に居る時とまったく変わらないコミュニケーションが可能であった。
いずれにしてもマレーシアのレースが予定通り6月に開催されるならばRussian
Journyは8月に実行、万一マレーシアが延期になれば、我々は6月に渡航する予定を組み始めている。
6月の太陽がロシアでは最も条件が良いのだそうだ・・・。
夜遅くまで太陽が出ているとの事・・・、そんな長い時間の走行も、私JonaSunはへっちゃらなのだがドライバーやサポートメンバーがたまらないだろうーな・・・笑
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